地震
東北人は、やはり真っ先に3・11が頭を過ぎります。
地元住民の方のご心痛お察し致します。
こうしてみると
私が生まれて約34年ですが、日本全体、ほとんどの国民が満遍なく「大地震」を経験したのではないかと思います。
転勤のタイミングでは全ての地震に遭遇したという方も居ますよね。
私が人生で初めて経験した地震は「日本海中部地震」というものらしいです。
1983年 5月 なので私はまだ乳飲み子だったので全く記憶にありませんが、よく祖母やトーテンポールから話は聞いていました。
時間帯は昼間
現代の私たちは近年震度6,7を見聞きしすぎていて震度5の感覚がもはや「震度3」くらいの価値になってますが
当時の震度5は、レベルマックスです。
通信簿と同じです。
その上はないと思って民は生きていたと思います。
徐々に強くなったとかではなく、もういきなり下からつき上げられる感覚の揺れで、聞く人によっては3・11より中部の方が揺れが強かったと話す人も居る程。
様子をうかがう間も無く、祖母と私を抱いた母は反射的に外へ飛び出したんだとか。
時間にして、何秒ゆれたのかは分かりませんが、その時祖母は
私を抱いた母に向かって
「ここに上がれ!!」
「早く!!!」
「早く上がれって!!!」
っと、怒ったぐらいにして、
必死に
へ、呼んでいたらしいです。
しかも、2本あるのに自分の上がってる土台に気持ちばかりスペース作って
ここへ来いと。
もう、ココ1のおすすめスポットだったんでしょうね。
タイタニックでいうところの
だったんでしょうね。
むしろ、ジャックだってうちの祖母を恋人にしていればあんなことにはなってません。
このスペースに子連れを召喚するんですから
これなんて楽勝
1世帯は余裕です。
ジャックどころか他若干名も助かって、
タイタニック号の生存者数も今頃4,5人は増えてます。
そんな歴史を変えたかもしれないポテンシャルを持った祖母はお陰さまで90歳
今も元気です。
この5月の連休は、「震災を忘れない」という思いも込めて、祖母ごり推しだったおすすめスポットを改めて観光しようかな。
当時の再現もしながら、限界何人まで乗れるか家族で楽しめる予感プンプン。